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本・音楽情報
CDタイトル 天満敦子 祈り
発売2005年10月5日 発売元キングレコード 定価3000円
 
 ある方から、このアルバムを戴いた。音楽の話しになり、私が「天満さんの『望郷のバラード』はいいですよね」といったら、下さったものだ。
12曲が収められていて、芸大の同期のオルガニスト小林英之さんとの演奏。
印象的だったのは、「鳥の歌(カタロニア民謡/カザルス)」「アダージョ(アルビノーニ/ジャゾット)「アリオーソ(バッハ)」「アメイジング・グレイス」「望郷のバラード」である。特に「望郷のバラード」は何度聴いてもいい。「望郷のバラード」のタイトルのついたCDは以前買ってから大切にしている。
 全部聴き終わってから、音楽を聴くということ-----それは、自分の命と向き合うことではないか。自分と対話するということではないか。こんなことを考えた。
 以前、テレビで話をされていた天満さんを観たとき、とても大きな魅力的な人だなと思った。今度、著書やコンサートで会いたい。(2006年5月30日)


タイトル『若者と仕事』
著者本田由紀 発行所東京大学出版会 発行日2005年4月15日 定価3800円+税

 本書は若者の仕事に関して、フリーターはじめ困難な状況を教育現場から提案しているものである。
 副題に〜「学校経由の就職」超えて〜とある。「学校経由の就職」を次のように説明している。・・・「学校経由の就職」とは、学校と企業との継続的な組織間連携に基づいて学校が個々の学生・生徒を企業に斡旋・紹介・推薦し、その結果、学生・生徒は学校卒業と同時に企業に正規のメンバーとして参入する現象を意味している。・・・
 そして、この「学校経由の就職」という仕組みが崩壊の兆しが見えており、将来的にはなくなるべきと主張する。この「学校」が大学までも入るのかどうかはっきりしない面もあるが、「高校」とは言っていないので大学も入るのであろう。それを前提として考えると、 いま、ある大学の学生に対して、進路・就職の相談にのっている身としては、「学校経由の就職」がなくなるべきという主張には疑問がある。私自身は、学生に対して、就職させること、内定をとらせること、そのためだけの短期的視点で向き合ってはいないからである。
 ただ、この本の意義は、どちらかといえば、「仕事をしない若者」という世間の見方に、疑問を感じ、マクロ的に本質を捉えようとしていところにある。それだけに、やや硬い感じになり、難しいところもあるが、今日の若者の職業観を研究している人たちや教育現場にかかわる人たちには必見の書といえよう。(2006年4月30日)


タイトル『博士の愛した数式』
著者小川洋子 発行所新潮社 発行日2005年12月1日 新潮文庫定価438円+税

 著者は芥川作家として有名な人であるが、この本のことを知るまで知らなかった。
そして、この本を読む前に、映画を先に観た。最近、話題作が発行され、ほとんど同時に映画が作られると、映画を観てから本を読むパターンとなっている。そのほうが映画での感動が深まり、さらに本を読むことでじっくりと洞察が出来る気がして、ここのとろそういうパターンになっている。
 さて、この本には随所にというかほとんどというか、数字、数学のことが書かれている。私のように数学を苦手としている向きには多少退屈かも知れない。しかし、そこに流れているテーマは人間愛であるので、数学が苦手でもこの本の本質を理解するのには支障はない。読んでいて、人を教育指導する立場にある先生、あるいは将来の仕事として先生を目指す若い人に読んで欲しい本でもある。さらに、先生に限らず、子どもと向き合う大人にとって、多くの示唆が得られるであろう。
 小さい頃、こんな教え方をされていたら、もしかしたら算数・数学が好きになったかも知れないと、ふと、自分の理解力のなさを忘れて一瞬思ったりする。その人の存在そのものを認めるとか、その人がどのように理解しているのかを話すあるいは教えようとする人がまず理解することなどが大切であることを再認識させてくれる。
それにしても、私たちの生活のまわりには常に数字・数値が付きまとう。今日は何日、いま何時、今日の株価はいくら、ゴルフのスコア、商品の値段、明日の温度、いま幾つなどきりがない。数学がきらいであろうが、数字・数値と私たちの生活と密着している。目標あるところに必ず数値がある。面白いものだ。
(2006年3月13日)


タイトル『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』
著者リリー・フランキー 発行所扶桑社 発行日2005年6月 定価1500円+税

 この本の存在を教えてくれたのは、職場の仲間であった。なにかの話題のときに、この本の話になったのである。私は、著者のリリーさんという人が話題になっていることさえも知らなかった(いまだどういう人か知らないのであるが)。
 読み始めて面白いことに気がついた。章ごとの目次がないのである。最初は変な感じがしつつ、読み始めたのであるが、肩肘がはらないテンポのある文章にどんどん引き込まれていった。こういう書き方の本もあることに気付かされた。また、九州弁がなつかしく、九州人の気風が随所にあり、義兄の姿とダブル感じがした。
 既に亡くなった両親と自分との関係と似ているところもあり、似ていないところもあるのだが、全体を通して、母親との絆の強さや濃密さ、それに引き換え父親との淡白な関係は、同じと思った。いったい、男親と息子の関係と言うものは大概そんなものかも知れない。
 母親の愛情に溢れているオカンの遺書には胸が詰まった。
その一部・・・・これからも健康には充分気をつけて
・・・・・・・・決しておごることなく
・・・・・・・・人の痛みのわかる人間になっておくれ
・・・・・・・・中学校の時の伊藤先生が
・・・・・・・・中川君は男の子にも女の子にも好かれていますと
・・・・・・・・言われたことがうれしかった
・・・・・・・・勉強の出来る子より
・・・・・・・・そういう人間になってもらいたかったから

(2006年3月5日)


タイトル『議論のウソ』
著者小笠原喜康(ひろやす) 発行所講談社 発行日2005年9月 定価本体720円+税

著者はメディアに流されている様々な言説に惑わされている危険があると指摘し、「本当のところはどうなんだろう」という認識を常にもつべきと主張する。さらに、何事にもスピードが要求されてきたこれまでの社会では、すぐに正解を求めがち。世の中のことは白黒をつけられないことが多いのに、無理に白黒をつけようとする危険性を説く。
具体的には「学力低下」は本当だろうか?と社会に公表されている統計データを元にして詳しく分かりやすく述べている。
 そして、現代の時代の考察として、以下のように述べている。
「現代そしてこれからの社会は、私たち一人一人が主役になる社会であることがわかる。誰かに支配してもらうのではなく、自分自身で自分を支配する社会、それが本来の民主主義社会であろう。こうした社会は、誰かがつくった「正答」を学んで、それに忠実になる時代ではなく、自分で自分の考える「正答」を作り直していかなくてはならない時代ではないか」。
 就職相談に来ている学生と話すたびに、彼らの持つ「常識の危うさ」にハラハラする。言葉には出さないが、その受け止め方を聞いてみると「だってみんながそういっているのではないか」ということになる。では、「みんなって誰?」「自分で調べて確認してみた?」といっても、ほとんどの学生が答えられないし、調べてもいないのだ。そうして、自分に自分で制約をつけており、前に向かって進めなくなっている。
 この本を読んでいて、最近の政治家のスローガン的な言葉が受けていることや、「勝ち組みと負け組み」などの二極的な表現が流行っていることをあらためて思い出させるし、それに対して、私たちが「だまされないぞ」という注意力を持って、日頃の情報に触れる必要性を感じるのである。(2006年2月18日)



タイトル エンデ全集『オリーブの森で語り合う』
  発行所 岩波書店 発行日1997年 
 ミヒャエル・エンデが政治家と評論家との対談集である。1982年の対談であるので古い話のように感じるかも知れないが、その深い洞察は、色あせるどころか、今日の世界の人々に向けて語ったとしても、ますます輝きが増す価値がある。
 本文が始まる前のページにドストエフスキーの言葉があった。

・・・・世界を変革し、新しい世界をつくりあげるためには、まず、自分の心をいれかえて、こりまでとはちがう方向にすすまなければならない。心の底からみんなと兄弟にならないうちは、兄弟愛がこの世をおおう日はこない。・・・・

 日本を始め、世界のリーダーたちはこの言葉をどのように受けとめるだろうか。
折りしも、25日ダボス会議が開幕した。そこで、ドイツのメルケル首相が開幕演説を行った。「グローバル化が進むなかで、多くの国々や組織、機関の協力が重要。そのためには、世界共通の倫理的基準を持つことが大切」と強調した。(2006年1月28日)


円熟のアンサンブルが奏う ヴィヴァルディ「四季」

第2回 KEC Charity Concert のご案内です。
主催 財団法人KDDIエンジニアリング・アンド・コンサルティング
ヴァイオリン 永峰 高志
チェンバロ  井上 道子
指揮     家田 厚志
N響団友弦楽アンサンブル
2月22日 水曜日 開演19:00
めぐろ パーシモンホール
前売り2500円

チケットの収入はカンボジアに学校を建設するために全額寄付されます。


タイトル『蝉しぐれ』
著者藤沢周平 発行所文藝春秋 発行日1988年5月10日 定価1300円+税
 
 庄内地方の下級藩士の生き様を描いたこの作品の特徴は、殿のいる城内の場面が登場せず、あくまで市井の人や下級藩士の日常を描いていることである。
 本の中で三つの場面が印象に残った。第一に、文四郎が切腹させられる養父助左衛門に会いに行くときの道中と実際に対面する場面である。文四郎の実兄である市左衛門が文四郎に言う。「助左衛門殿に会うのはほんのわずかなの間だ。言いたいことはいまのうちに考えておけ」「泣くひまはないぞ」「また、そのような醜態はゆるさん。服部の人間として、牧の跡取りとして人の侮りをうけぬよう、りっぱに振る舞うのだ。よいか」と。
 そして、父と対面して、父は文四郎に「父を決して恥じてはならない」と言う。いよいよ別れのときとなっても、文四郎は何かを言おうとしたが言葉が出なかった。ここには、武士としてこの時代を生きる覚悟、品格、あるいは基準が見事に描かれている。
 第二に、父に切腹を迫った黒幕の家老里村との座敷での対面の場面である。自分の保身のために、多くの人々の命を奪ったことに対しての愚かさについて憤りを発した場面である。
 第三に、幼馴染のお福との別れの場面である。二人とも、今と違ったもう一つの人生があったかも知れぬと、その運命に想いを寄せるのである。そこには、人の力の及ばないこともあり、それを受け入れつつ生きていく二人がいる。
 実はこの本は、妻の友人が貸してくれたものである。その本の中に、朝日新聞のコラム『天声人語』が切り抜いて挟まってあった。書かれた日は、藤沢周平が亡くなられた直後と思われる。その中の一節に藤沢周平が語った言葉を引用して、藤沢周平の魅力について次のように書かれていた。
・・・・・・・・・「成功しない人間にこそ真実があり、物語があります」「いつの世でも、権力というのは油断ならない。信用できるのは、普通の人間です」。こうした視点も読者を引きつけた。・・・・・・・・(2005年11月19日)


タイトル『エクスペリエンツ7 団塊の七人』
 
著者堺屋太一 発行所日本経済新聞社 発行日2005年7月15日 定価1900円+税

 今年の七月十五日発売になったことは知っていたが、そのうちに読むと思いつつ、先送りしていた。著者の堺屋さんからは、拙著『団塊の逆襲』の出版に際して、引用許可のお願いをした。それに対して、ご丁寧に励ましの葉書を頂戴した。また、ご存知のように団塊の名付け親でもあるので、いつかは読まねばという気持ちがずっとあった。
 買い求めて読むのに、少し勇気がいった。なにせ、529ページ、四センチの厚さの力作であったから、根性を入れて読む必要を感じたからである。そして、それは読み続けていく中で現実となった。
 寂れた商店街の活性化に活躍する元銀行マンの物語である。銀行内のどろどろとした勢力図や債権・債務のことなど、銀行の仕事に関わってきた人が読めば、きっと面白い本に違いない。うらはらに金融業会の専門的な知識がないとつらい印象を持った。(2005年10月29日)


タイトル『モモ』

 1976年ミヒャエル・エンデ作 1984年18版発行 発行所岩波書店 大島かおり訳

この本のタイトルだけは、以前より頭に入っていて、いつか読みたいと漠然と思っていた。前回、『青い鳥』を読んだ後、子ども向けの本も、大人が読んで面白いと思ったのが、『モモ』を読むきっかけとなった。
 この本の幻想的なシーンを読みながら、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』が想い起こされた。エンデと宮沢賢治がどこかでつながっているのだろうか。
これを読んでいるみなさんは、「日頃、自分は人によく話を聞いてもらっている」と感じているだろうか?そこで、モモの人の話を聞く場面をひとつ紹介しよう。

======================================================================モモに話を聞いてもらっていると、ばかな人にもきゅうにまともな考えがうかんできます。モモがそういう考えを引き出すようなことを言ったり質問したりした、というわけではないのです。彼女はただじっとすわって、注意ぶかく聞いているだけです。その大きな黒い目は、あいてをじっと見つめています。するとあいてには、自分のどこにそんなものがひそんでいたかとおどろくような考えが、すうっとうかびあがってくるのです。
======================================================================

この本をわかりやすく解説している本がある。それは『「モモ」を読む』で子安美知子さんが学陽書房から1987年に出版している。それによるとエンデはルードルフ・シュタイナーに影響を受けているらしい。今度は、教育者シュタイナーの本を読んでみたくなった。だから、読書は面白い。(2005年8月21日)



タイトル『青い鳥』
モーリス・メーテルリンク作 末松氷海子訳 発行所岩波書店 発行日2004年12月
定価 680円+税

 この本を読もうと思った動機は、日頃、学生に向かって「青い鳥症候群になるな」
と話をしている私自身が、このメッセージのもとになっているメーテルリンクの「青い鳥」について、どこまで知っているのか、それを知らずして、あるいは曖昧のまま話をしているのはどうかという気がして、とにかく読んでみようと思い立ったことにあります。
 私が「青い鳥症候群になるな」といっている意味は、「自分にとって最適な職業や仕事はなにかと深刻に考え過ぎるな」、「青い鳥がどこかにいるはずと思っているだけで行動しないのは問題を先送りしているだけ」ということを理解して欲しいためです。
 この『青い鳥』を読んだ結果、読む人によってさまざまな感じ方をするだろうということがわかりました。こんなことは当たり前といえば当たり前ですが、それだけこの本は哲学的な深い洞察に溢れていると思いました。メーテルリンクは、生きる意味を劇を通して子どもたちに伝えたっかたのではないかと考えています。
 本に小学5年6年向きとありましたが、いまでも彼らはこの演劇を観る機会があるのだろうか。また、それを観てどんな想いが湧き上がるのだろうか。
 第9場「幸福の楽園」のなかで、さまざまな幸福の妖精が出てきます。太った幸福、ものを所有する幸福、満足したみえっぱりの幸福、なにもしない幸福、必要以上に眠る幸福なにも知らない幸福、なにもわからない幸福、ばか笑いの幸福です。
 ヴィクトール・エミール・フランクル博士の幸福についての言葉を思い出します。"私たちが真の幸福感を味わうのは、自分自身に定めた何らかの目標を達成したときである"。(2005年8月1日)「



タイトル『団塊世代よ、帰りなん、いざ故郷へ!』 
著者野口 稔  発行所夢工房  発行日2005年5月21日 定価本体1500円+税

 副題は「セカンドライフの一つの選択肢」。組織を離れて、別の場所で、自分らしい生き方を見つけていこうと呼びかけている。野口さんは、すでに定年前からその準備と実際に行動に移している。自然環境の保護活動を通じて、農業への愛着を持つようになったのはまさしく、自然の流れのような気がする。
第一章の〜男はなぜ「農」に惹かれるのか〜が面白い。最近、田舎暮らしを求めて、早期退職したり、また、地方都市でも受け入れの環境整備を進めているニュースがよく流れている。故郷を後にして、都会で生計を立てている団塊世代の数は多い。故郷をただ懐かしむだけではなく、新しい息吹の誕生に精力的に実践している著者に共感を覚える。
 
※私のサイトの中のリンクページに野口さんが代表を務める「北鎌倉湧水ネットーワーク」も訪ねてみてください。(2005年6月21日)


タイトル『共感する力』
著者 野田正彰 発行所 みすず書房 発行日2004年1月20日 定価2600円+税

 この本を読もうと思った動機はタイトルに惹かれたためである。組織やチームの中にいて、周りの人と一緒に働いているときに大切なことは共感性であるとつねづね考えていたからである。つまり、周りの人になにか働きかけるときに、自分の意見だけを声高に主張するのではなく、相手のことを尊重しつつ、自分の意見も表明することがないと共感を呼ばず、コミュニケーションがとりにくい。相手を尊重する心根が、誠実さにつながり、一緒に頑張ろうとなる。

 著者は言う。
・・・・・情報化社会に至った今、いつか私たちは捨て去られ破壊された共感力をもう一度取り戻したいと思うようになる。他者への愛、さらには他の生命への共感と共生を求めるようになるのではないか。私たちは他者への共感力を豊かにすることによって、人生をすばらしいものにしていくことができる。そのことに再び気づくのではないだろうか。・・・・・

 今、アジア諸国とりわけ、中国や韓国からの日本への批判が高まっている。日本の政治家の「共感する力」が試されている。政治家に読んで欲しいと願う。また、対人関係において悩んでいる人にとってヒントになるかも知れない。(2005年5月8)



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